小石川村 ~日本を少し明るくする村~

架空の村。平成元年生まれの二児の父、薬剤師で外資コンサル勤務で学校経営ディレクターという設定の人が村長。

3歳児|一切教えていない英語は順調で、一生懸命教えたピアノは大失敗した件について

2つ目の記事で、このブログの詳細や目的なんかもまだちゃんと紹介できていない。

書く順番がバラバラな感は否めないが、書きたくなることがあったのでその話を。

 

1.一切教えてない順調な3歳児の英語

 子供への英語教育について、我が家では0歳児の時からいくらか取り組んでいる。世間でいうところの幼児英語、早期教育に該当するものだと思う。どんなふうに取り組んでいるのかについては、結構いい記事になるんじゃないかと思っているのだが、、、具体的な題材などについてはまた今度。

 英語については項目名にある通り、「教えてない」。厳密にいえば、一緒に発音したり日英の訳について喋ったり色々しているので、人によっては教えてると判断される部分もあるかと思うけれど、「このセリフはこう翻訳する」とか「主語がこれで、文法がどう」とか、少なくともオーソドックスな日本式の英語教育はとっていない。

 「子供が勝手に英語しゃべれるようになりました!!!」とかよくあるマーケティング的な話には思われたくない。割と地道というか地味な話。親ができるのは子供の歩く道の上に物を置いておくだけだと思う。それ以上は普段はあんまりやらない。

 

 英語が順調であると頭に浮かんだ時、同時に「幼児英語における『順調』とは何か?」ということを思った。感覚的に『順調』と自分が判断していても、本当だったら客観的な尺度があったほうがいいと思う。わかりやすいから。例えば、「何歳で英検何級とれました」とか「この英語の試験で何点取れました」とか。

 私が『順調』だと思う理由についてあらためて考えてみると、どれだけ喋れるようになったかなどの習熟度の話ではなくて、3歳の娘の『スタンス』の部分から判断していると思う。彼女は英語の歌が好きで気に入った歌は暗記したり、気に入ったセリフを覚えて適切な場面で話してみたり、色々な英語のコンテンツが好きだ。そう遠くない未来で、娘は私より英語が得意になると思う。ちょっと戦々恐々としている。

 

2.一生懸命教えて大失敗したピアノ

 さて、ここからが本題だ。ピアノについても少し前から教室に通っているのだが、これがあんまりうまくいっていなかった。

 「うまくいっていない」と思ったのは、ピアノの教本の同じところで一か月くらい止まってしまっていたからだ。彼女の理解力なら本当はできるはずなのに、やらないというかまじめにやれない、というか。先生の前でできることを見せないから進んでいかない。

 まじめにやらないのは先生にも申し訳ないし、娘に対して「なぜやらないんだ!」と内心腹立たしかった部分があったんだと思う。それで家に戻ってきた後やレッスンの翌日、何回もやってみせたり、やらせてみたり、してみた。

 ・・・

 「パパ、うれしい?」「ママがよろこぶよ~♪」

 ピアノの運指を覚えるための簡単なパッセージを弾きながら、娘はそんなことを突然言い始めた。それが私にはすごくショックだった。「なんてことだ」と。

 「この子は、親の機嫌をとるためにピアノを弾いているんだ」と。音楽や歌が大好きなコで、ピアノにも親しんでもらいたいと思って始めたのに、親の機嫌をとるためにピアノを弾くなんて完全に間違っている。

 親としてどうしなきゃいけないのか、1日2日しばらく考えた。ピアノの先生の言うことを聞けないこと、レッスンに集中できないこと、「教室には『親のエゴ』で通っていること」。。。

 

3.今回の件から村長が得るべき教訓

 残念ながらこの話にまだきれいなオチはついていない。問題が発生してからまだピアノ教室の日になってなくて、ピアノの先生と解決策を確定させていないからだ。先生の意見や方針にもよるが、ピアノ教室をやめることも選択肢に入っている。

 ただ、思ったのは「何で英語は『順調』なのに、ピアノは『うまくいってない』のか」というところ。

 英語は娘が自分でやることを決めてる。好きな時に好きなだけ、好きなものに触れている。

 ピアノはどうだ。親が決めたレッスンの時間に先生が決めた題材に触れている。はっきり書くと、好きでもないタイミングで好きでもないことを「やらされている」。オマケにできなかったら、できるまでやるように言われる始末だ。

 頭の中でぐるぐる考えて迷っていたけれど、こう文章で落とし込むと何が問題なのか明白だと思う。

 ・・・

 じゃあどうするか。

 ピアノの先生と話してみないといけないが、ピアノの演奏技法を学ぶというよりも今は娘に「ピアノの面白さや楽しさ」を知ってもらったほうがいいんだと思う。ドやレの運指だけじゃなくてもっといろんな音や旋律があって、親が決めつけるんじゃなくて、自分でも弾けるようになりたいと、本気で思ってもらえるにしたほうがいい。いや、「本当にやりたいかどうか」や「何を本当にやりたいのか」は娘が決めるべきだと思う。親ができるのは触れる機会を設けるところまで。今回の件はすごく反省して、もちろん娘にも謝った。

 

 いろんな正解があると思います。一生懸命教えるスタイルで頑張る方針のお家もあって、それを否定しようとは思わないです。ただ、「うちはこんな感じで考えました。」ということを記録として残しておきたくて、記事にしました。

 このブログは(いろんな目的があるのですが)、我が家の子育ての秘伝書にでもなるようにしようかと思っていて、こんな風に子育てのことも書いていきたいと思います。

 それではまた(週一ぐらいで書けるようになったらいいな)